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STEAMへの取り組み

 

エピソード(1)

   戦時中、私の父はパプア・ニューギニア沖/ヌンホル島上空の、日米軍空中戦を目撃した                                                                                                   2023/4月 平 林 正 志
◎ 父は先の戦争中、パプア・ニューギニア島のジャングルで死線をさ迷った

・ 既に亡くなった大正生まれの私の両親は、青春時代を日中戦争、太平洋戦争に翻弄され、戦後生まれ世代には想像も付かない暗い日々を過ごしていたと思う。 父は帝大農学部林学科を卒業、旧王子製紙(株)に入社した翌年、南方森林資源開発を進める国策を担う「王子製紙挺身隊員」に抜擢(?)されて、パプア・ニューギニアに赴任した。 しかし、工場建設の命を請け赴任した民間人(軍属)の立場でありながら、翌年の昭和19年7月には戦局悪化に伴う軍の転進命令に従って、ジャングル湿地帯の中を約1年間さ迷う結果になった。

・ 後に「イドレ死の行軍」と言われ、ヒルや毒虫以外の生物は皆無のジャングルを500km以上も行軍させられた第2軍12000人の将兵の90%が餓死、病死した。 第2軍司令部があったマノクワリ近隣で活動していた王子製紙他の現地企業の社員も、軍隊とほぼ同じ道をたどり、多くの死者(人数?)を出している。 父は九死に一生を得て(ジャングルで行動を共にした上司、同僚1人と3人生還)、ジャワ島アンボンに到着、そこで終戦を迎えた。

◎ 父がパプア・ニューギニアで目撃した日米軍機の空中戦とは、いつどの戦いだったのか

・ 王子製紙(株)の社内誌「南方事業史」が、たまたま愛知県図書館に所蔵されていて閲覧できた。 南方事業史には、旧王子製紙幹部や挺身隊員の手記、回顧録が掲載されている。 それによれば、父は西パプア島の北東に位置するマノクワリ とその少し南の アンダイで活動していた事が分かった。 生前の父から戦争中の話で聞いていたのは 「 近くにあった日本軍基地を爆撃する大型の米軍機に、ちっぽけな日本機が立ち向かって撃ち落されるところを見た。 この戦争に日本はとても勝ち目は無いと思った 」 という事だった。 空中戦のあった近くの基地とはどこか。 戦闘経験がない民間人の父が目撃した戦いは、限られる。

・ 昭和19年4月から7月までの間、マノクワリ周辺で繰り広げられた日米戦の記録を調べると、マノクワリ沖合のビアク島の日本軍基地を米軍機が空爆した大規模な戦いがあった。 最初、これを父が目撃したのかと考えた。 マノクワリから西は、西パプア島のサゴ椰子のジャングルで見通しは効かない。 見たとすれば東に広がる海の上で、島の他は 障害物がなく、天候条件が良ければかなり見通すことは可能だろう。 それに、王子製紙挺身隊は測量も行なったはずで、望遠鏡の扱いはお手の物、島上空の空中戦もはっきり見えたのではないか。

◎ ビアク島上空の日米空中戦は地球の陰に隠れ、マノクワリからは見えない !

・ ビアク島のモクメル飛行場(滑走路3本)はマノクワリから230km先にある。 海岸に立って東の海を見ても、ビアク島は”地球の陰”に隠れ、望遠鏡の倍率を挙げても見えない事に気づいた。 ビアク島上空4000m(富士山を超える高さ)を飛ぶ飛行機は一応見える理屈にはなるが、地上の滑走路を空爆する米軍機は高度1000m以下の低空を飛んでいただろう。  (地図を参照)

◎ 父は昭和19423日ヌンホル島上空でB24爆撃機を迎撃する隼戦闘機を目撃

・ 一方、マノクワリから80km程のヌンホル島の基地も、4月18~22日にB24の爆撃を受けた。 これに対し陸軍は、ハルマヘラ島(インドネシア)に待機していた一式戦闘機(隼)26機をヌンホル島に送り、4月23日、米軍B24爆撃機11機を迎撃した事がわかっている。 ヌンホル島は、幅20km、標高200m程の小島で、父が居た対岸のマノクワリから見ると水平線の下に隠れている。 しかし、ヌンホル島の上空500mを超える高さで複数の飛行機が飛び交う空中戦は、十分目撃できたと考えられる。 (地図を参照)

・ 基地が潰される都度、地上に残された数少ない戦闘機も飛行不能となり、パプア・ニューギニアにおける日本軍の制空権はこの頃までにほぼ失われた。 4月23日の、ヌンホル島上空で繰り広げられた空中戦に匹敵する日米軍機の激戦は、これ以降見ることはなかったと思う。

(米軍は6月7日にはビアク島の飛行場を制圧、7月2日にヌンホル島にも米軍上陸)

 

 

 

 

 


 

エピソード(2)

   伊勢志摩のホテルから200km先の富士山が、水平線から浮き上がって見えた

                                                                                       2023/4月 平 林 正 志

◎ 初日の出を待つホテルの屋上から、200km先の富士山が見えた

・ 2022年元旦は、家族と共に伊勢志摩のホテルで迎えた。 早起きしてホテル屋上に集合、他の宿泊客と共に初日の出を待っていると、ホテルマンが 「今朝は、富士山もご覧になれますよ」 とのアナウンス。 水平線上には、見慣れた富士山のシルエットが見えた。 遠くのぼんやりした姿はタブレット端末のカメラではうまく撮れないが、目視で頂上から下の宝永山のあたりまで見えた。 伊勢志摩から富士山が見えるとは聞いていたが、山の天辺がちょっと見えるどころか、宝永山の高さまで富士山の形がわかるとは思わなかった。

・ 地図上ではホテルから富士山頂上までは、ほぼ 200kmの距離がある。 ホテル屋上の海抜を54mとして、富士山頂が見晴らし可能な距離を計算で求めると約240kmとなる。 さらに200km離れた距離から富士山のどの高さまで見えるかを求めると、標高2600mとなった。 つまりホテルの屋上から、宝永山から上の部分の富士山が見えても、不思議ではない。

◎ 和歌山・那智勝浦町/色川富士見峠から、320km先の富士山を撮った写真もある

・ 天候、気象条件が整わないとなかなか見られない富士山は、カメラマンの絶好の被写体であり、たびたび伊勢志摩の地元新聞の紙面を飾っている。 伊勢志摩から西に位置する和歌山・那智勝浦/色川富士見峠から320km先の富士山を撮った写真もある。 これが、最も遠くから捉えた富士山の写真らしい。

・ 富士山から320km以内でも、地平線から突き出て視界を遮る高い山があれば当然見えない。 しかし伊勢志摩から富士山を望む場合、渥美半島から御前崎の海岸線までは海面で障害物無し、また渥美半島から東側の陸地は大部分”地球の陰”になっていて、水平線から顔を出すような山は富士山位である。 富士山は断トツに高いので、遠くから見る場合に視界を遮る山は無く、正に日本の象徴に相応しい山であると言える。

◎ 伊勢志摩の浜から見た富士山は、逃げ水現象により海面から浮き上がって見える

・ 伊勢経済新聞に載った、安乗(あのり)の海岸から見た富士山は、背後の明るい空に浮かぶ富士山の青いシルエットである。(写真は望遠レンズ使用? 目視の場合は、ここまでクリアには見えず) このように富士山が海面から浮き上がって見える見た目から、これは”浮島現象”と呼ばれる上位蜃気楼であると説明される事が多い。 しかしこれは、むしろ”逃げ水”と呼ぶべき下位蜃気楼が発生していると考えたほうが良い。(図を参照)

1) 浮き富士の見える季節の伊勢志摩の海は暖流の影響で水温が高い一方、上空は冬の寒気で覆われている。 そのため、海水面に接する大気の温度が高く、上空は低温となる。このような温度勾配の空気層を通る光は、空気がより冷たい上向きの方向に屈折する。 2) 海岸から空気層を通して屈折する光によって、”逃げ水”現象が発生、シルエットの宝永山から下の部分が鏡面になってそこに”逆さ富士”が映る。 しかし、水平線以下は地球の陰になっていて見えないので、”逆さ富士”は水平線以上の部分のみが見えている。 そのため、富士山のシルエットの下側にも背後の明るい光が見えて、富士山が浮いているように見える。


 

エピソード(3)

   飛行機の窓から気持ちの良い青空が見えていても、外は希薄大気、極寒の世界

                                                                                      2023/6月 平 林 正 志

飛行機は石垣島に向かって、高高度、極寒の空を飛んだ

・ 2023年正月の家族旅行で、初めて石垣島を旅した。 行き帰りの飛行機では、水平飛行に移行すると、窓の外は青空、下界は一面雲の同じ風景が続くだけなので、もっぱら座席上のモニターに表示される飛行中の高度、対地速度、外気温の数字を眺めていた。(右図)  日本文と英文が交互に表示され、各々の単位も、高度m ⇔ feet、速度km/h ⇔ mph、気温°c ⇔ °F と変わるところで、気温の数値に違和感を持った。  摂氏温度-40°C ⇔ 華氏-40°F と同じ数値になっているのを見て、一瞬間違いではないかと思った。 

・ 日本国内の普段の生活では 華氏°F は馴染みがなく、自分も「熱力学」を講義する時にも、摂氏°C と異なる温度表記として触れる程度。 そのため 「同じ温度でも、摂氏より華氏の方が数値は大きい」 となんとなく思い込んでいた。 後で海抜高度(標高)と外気温の関係を求めてみると、地上(海抜0m)の外気温が20°Cの時は、華氏では68°Fである事、一方、その条件における高度10kmの外気温は-40°Cであり、華氏も -40°Fとなる事を確認した。(右図) 日常生活で-40°Cの低温を体感する機会はめったに無いが(冷凍倉庫で作業する人は別)、飛行機を利用する人には、意外に身近な世界(しかし生死にかかわる環境)と言える。

飛行機の対地速度は、ジェット気流の影響で大きく変化した

・ 座席上のモニター画面を見ていると、水平飛行中の高度はほぼ10km。 またこの時の対地速度は、往路(石垣島行き)で約700km/h、復路(中部空港行き)では約1000km/hだった。 飛行機は往路では迎え風の中を飛び、復路では追い風に乗って飛んでいたに違いない。 高度10kmで西から東向きに吹く風はジェット気流と見当が付き、旅行後に、気象予報士(松田巧氏)のブログから1月初旬の気流の状況を調べた(右図)。 これを見ると、上空10km高さで最大100KT (=185km/h ) の風速がある。これより、対気速度850km/hで飛ぶ飛行機が、往路は150km/hの迎え風を受けて対地速度700km/h、復路は150km/hの追い風を受け対地速度1000km/hで飛行したと考えれば納得できる。 (数字の辻褄合わせ?)

◎ 旅客機の飛行高度10kmより少し上、高さ約16kmまでが地球の対流圏

・ 2022年12月ワールドカップ/日本-スペイン戦では、三苫選手がラインぎりぎりに蹴り返したボールがライン上にあった事 (写真判定でわずか1.88mm内側) が認められ、日本が劇的ゴールを挙げ勝利した。  “三苫の1mm” として後々まで語られるこの話題は、サッカーボールを地球に見立て、大気層の薄さに例えた気象学者のツィートによって一層彷彿した。

・ お茶水女子大気象学研究室の神山翼助教授が「我々の住む地球大気の薄さ16 kmは、地球半径6371 kmの0.3%です。 もしこれがノーゴールなら、陸上に生命はいません」 とツィート。  神山助教授は、学生に「気象学は、地球を取り巻く極めて薄い大気層の中で起こる現象を明らかにするのが目的」 と説明しようとしていた。 そのタイミングで、ワールドカップでサッカーボールがラインを割ったかどうかのmm単位の議論を知り、地球表面の大気層は薄いが、その存在は生命にとっていかに重要かという事と結び付けた。 落語でいえば “座布団一枚” と声を掛けたくなるような絶妙なツィートだった。

・ 高度と気温の関係図の通り、旅客機の飛行高度10kmまでは、気温は高度に対し直線的に低下する。 地表の水が蒸発上昇し気圧、気温が低下して雲になり、雨となって再び地表に降り注ぐ”対流圏”は、”大気圏約100km”の下から約10%で、生物が平穏に生きられるのは地表面に付いた薄皮一枚の大気中である事を思い知らされる。